理由は書きかえられる

 一つ前の記事を消した。

 最近、いろんなところで「研究計画書、ブログで見たけどさー」と言われ、意外といろんな人に読まれてることを知って、なんだか恥ずかしくなって消してしまった 笑

 どうせ誰も読んでないだろうと思ってたけど、今度からはこころして書こう。

 

 最近は院試に向けてひたすら教科書とにらめっこしている。臨床心理学はやっぱり面白いと思うし、現場に立ちたいと思う。でも、その面白さの感覚は臨床心理士になろうと決めた当初とはなんだか違ってきている気がする。最初に現実的に臨床心理士になろうと考え始めたときのことは出来事としては憶えてるし、キーになった学術的な概念とかも憶えてる。けど、それに興奮した当時の生の手触りみたいなのものは、今思い返して蘇ってくるものと、本当にその当時に感じてたものとではたぶんなんか違う。

 なろうと決めてから今までに、いろんな経験をしてきた。就活したり、卒論書いたり、サラリーマンしてみたり、身近な人が死んだり死にかけたり。

 就職した時は、臨床心理学なんかどうでもよくなってサラリーマンを続けていこうと思えたら、それはそれでいいと思ってた。けど、幸か不幸か、そうはならなかった。むしろいろんな経験を経て、世界がこんな感じなら、人間というのがこんな感じなら、なおさら臨床心理学をやりたいと思うようになった。いろんな経験がやりたい気持ちの中身を書き足し、書きかえてきた。なんで臨床心理士になりたいの?って今聞かれたら、「大学3年の時に~」とかいって、なりたいと思い始めた当時のことを僕はしゃべり出すんだろうけど、微妙なエピソードの選択とか言葉の選択とかはたぶん変わってきていて、当時のリアリティを描こうとする語りはその書きかえられた現在形の感覚に方向づけられてしまう。過去は過去の一時点でその形を固定されて保存されてるんじゃなくて、その後の時間たちを吸い込みながら色を変え形を変え、そして現在ぼくの中に存在している。

 過去の現在形。2014年の2010年。なんじゃそりゃ。

 何が書きたくて書き始めたか分かんなくなっちゃった。寝よ。